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冤罪事件と脳科学

過去の冤罪事件を調べて気付いたことがある。冤罪事件を無くそうと警察の組織体制を論じるのは問題を矮小化していないか?
署長や副署長が責任を負ってもっと積極的に捜査に関与するようにしたらいいという記事があった。そういう対策も一つの考え方である。

僕には画期的な案がある。
予防するという発想を転換するのはどうだろうか?つまり、冤罪事件はおきるのを防ぐのではなく後で明らかにするような仕組みを構築したらどうだろう?
有罪判決受けた人や逮捕された人が裁判所に再捜査を要請し裁判所が許可したらゼロから徹底的に調べ直すシステムを作りそういう再捜査専門の機関を設立したらどうだろう?

どこの省庁の管轄にすべきかが問題なのと予算の面から実現は困難だろう。それに警察も別組織の捜査機関の設立には難色を示すだろう。


歴史的に言えば徳川家康が組織の概略を構築し秀忠が組織の運用を定め家光が組織を整備し体系化した。皆さんは町奉行(今でいう警察組織)は二つあったことを知っていますか?権力の乱用や腐敗や横暴を防ぐために江戸時代から先人達は組織を作り運用することに腐心していた。


なぜそんなことを考えるかというと警察を信用していないとかそういうんじゃない。
心理学的に、他人を評価する時は第一印象が影響するからだ。
つまり、確証的バイアスが自然と起こる。
具体的に言えば、AとBが争っていた場合、百人の第三者がAの意見を聞いてBの意見を聞いてどちらが悪いか判断すれば統計的にBが悪いと思う人が多数派になり、Bの意見を聞いてAの意見を聞いてどちらが悪いか判断すれば統計的にAが悪いと思う人が多数派になる。
なぜこんなことが起こるかというと、第三者は中立に判断する気でいても脳科学的に先に聞いた意見を主軸にそれを裏付けるかもしれない後の人の言葉や行為を容易に関連付けそれを裏付けない後の人の言葉や行為を例外だと認識し(所謂難癖付けて)排除するように働く。つまり、両方を平等に公平に扱ったつもりでも知らないうちに粗探しをするように脳科学的に立証されている。